イタリア短期留学 行動に移すまでの長い期間

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※画像はミラノのドゥオモ

去年の留学の記事がまだ1つだけなので忘れないうちに
そこまでのいきさつと留学の様子を記事にしたいと思います。
35歳で仕事を辞め大学院(日本国内)に進学したのはプロフィールに書いているとおりです。


大学(学部)時代、留学は資金や語学力など壁が大きく遠い存在という感じで
目標にするというより「行けたらなあ」となんとなく思っていた状態でした。(96年24歳)

当時は就職氷河期でなんとか就職し、
就職して2,3年は仕事に慣れるため何事も必死で余裕もありませんでした。

それでも、憧れに近いものを持ち続けていました。
なんとか20代の若いうちに海外に行きたいという思いもあり、
3年目連休が取れたのでイタリアへ初めて海外旅行へでかけました。(99年27歳)

初めてということもありツアーでイタリアを8日間で周遊するものでただの観光旅行でした。
自由行動も結構あるツアーだったので
その当時一番行きたかったミラノ工科大学を冷やかしで下見することにしました。

しかし、初めての海外での自由行動で、観光地はガイドブックでなんとか回れましたが、
結局ミラノ工科大学までいくことができませんでした。
地図も観光地の範囲までしかなく、ネットも当時グーグルアースなどなく出発まで手に入れれず。
地下鉄も恐ろしくてついに乗ることができませんでした。
(留学時は毎日乗るようになったのを考えるとビビりすぎですが初めての海外ではそんなもんでしょう)

ミラノから回ったので最終日のローマに来た時はだいぶん慣れてきて
ローマでは地下鉄に乗りましたが、ジプシーのすりに狙われる始末。
親切なイタリア人のおじさんに注意したほうがいいよとジェスチャーで教えてもらったので
なんとか被害に合いませんでしたが、そんなことがあったり、

ミラノ工科大学が見れなかったので代わりにローマ大学建築学部を見に行ったりしました。
ガイドブックの地図に載っていて観光地から歩いて行けました。
ローマ大学はいかにもヨーロッパの大学らしく威厳がありました。

休みだったのかフェンスが閉まっていて中には入れませんでしたが連絡掲示板などがあり
大学時代を思い起こさせほんとに留学できたらどんなにいいだろうと思ったのでした。

イタリアの旅行自体は感動し、よかったのですが、ミラノ工科大学を見れなかったこと、
イタリア語はあいさつすらままならない。英語がほとんど使えなかったこと。
などで、留学へのモチベーションがあがるどころか現実的に厳しいことが浮き彫りになり
このときは留学は夢物語に過ぎない状態になってしまいました。

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それから会社員としては常に忙しく、全く余裕がない感じで、将来について深く考えることすらできない感じでした。東京には一年に1回ぐらい行っていましたが30代になってあまりにもデザイナーとしてインプットがないことにだめだと思い無理してロンドンに初めて個人旅行にいきました。(2004年32歳)

このころはTOEICなども受けてなく英語力などおそろしく低下していたと思いますが、
昔19歳の浪人時代に英検2級を取っていたことで勘違いして旅行に行きました。
たぶん英語をろくに使わなくなっていたこのころは3級以下レベルでTOEICでは300点ぐらいだったでしょう。
しかし、勘違いがよかったと思います。

思ったほど通じなかったですがなんとかわかることもあり旅行自体は無事帰国できました。

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このころは会社の業績も良くない状態でなんとか自分の現状をかえたいと常々思うようになりました。
変えるにはどうするか。

選択肢で 転職、大学院進学、留学、独立(フリーランス)という4つでした。
そのなかで一番現実的な進路は大学院進学でした。

転職は同業同種で結局状況が変わらないのではないか。働きづめで気分的にリフレッシュできない。
留学はやはり語学力と資金不足。
独立は現状が独立につながるようなものでない。見込みがたたない。

などでした。大学院は留学ほど語学力が求められない。次の職への可能性の幅が広がる。(思い込み?)
もともと学部時代大学院進学も考えていたなどなどで決め、まずは大学院受験に必要なTOEICから受けることにしました。

この行動が大学院進学への一歩だったと思いますが、短期留学への一歩でもあったと思います。
このスコアが思いのほか低くなかなか次には進みませんでした。
つづく